スピリチュアルなものとしての自然
皆様もお気づきのとおり、人聞がサパイパルするためには、自然の影響が必要です。
更に、わたしたちが自然に依存しているのは、身体面だけではないのです。
人間は、複雑な迷路と問題まみれのこの世界で「思い描く」「行動する」「思い出す」「望みを持つ」といった行為に没頭するあまり、完全に迷子になっています。
そんな訳で、この思考という櫨から脱けだし、「我が家」へと帰還するために、自然に導いてもらうべきなのです。
人聞は、石や植物や動物がいまも憶えている事を、忘れてしまいました。
わたしたちは、通例の「在りかた」ーじっと静止している事、ありのままの自身でいる事、「生命の影響するところ」にいる事ーーを忘れてしまったのです。
生命の影響する位置とはどこでしょうか?それは、「いま、ここ」です。
意識をなにか自然なもの、人の手の加わっていない存在に向けると、あなたは、観念的思考の艦の外へと一歩踏み出し、自然のすべてを包含する「大いなる存在」と一体になる状態を、完全とまではいかなくても、ある程度は体験します。
意識を石、植物、動物に向けるということは、 それらについて考えるという意味で
はありません。それらの存在をただながめるのです。 それらをあなたの意識の中にとどめおくのです。